最初の自分史づくりの思い出
- 雄次 杉村
- 2024年7月10日
- 読了時間: 3分
余命幾ばくもない方の自分史づくり
今から10年近く前のこと、私はある出版社から、難病にかかり余命幾ばくもない方の自分史づくりのお手伝いを依頼された。その方はあるNPOの代表を務め、アジアからの留学生の支援など、長年アジア諸国との友好関係づくりに携わってきて、地元の市議会議員も務めたことのある方であった。
お会いすると、その方は車椅子に乗ってはいたものの、とてもエネルギッシュで雄弁な方であった。最初はインタビューを何回か行って自分史を書き起こしていく予定であったが、いざインタビューを行ってみると、話があちこちに飛んでとりとめがなく、また、ご本人も書く意志があったので、結局、ご本人が書き起こした原稿に私が手を入れていくことになった。
以来、毎日数枚ずつ病床から原稿が送られてきたが、その原稿を前にして私は呆然と立ちすくむ以外になかった。意味がさっぱり分からないのである。よく達筆すぎて文字の読めない人はいるか、メールで送られてくるその原稿は、もちろん文字自体ははっきりと読むことができた。読めるが、文意が分からないのである。
私は文筆業以外に長年翻訳を生活の糧としてきたが、それまで訳したどんな難解な文章よりも、その文章は「解読」が難しかった。ところがである。パソコンの画面と1時間ほどにらめっこをしているうちに、ある瞬間、急に目の前が開けた。まるで悟りの境地に達したような感じであった。
だがその「翻訳作業」は、毎日送られてくる数枚の原稿を1日でこなすのが精一杯であった。
かくして2ヶ月ほどお付き合いをして、最終的に500枚ほどに達したその方の自分史を脱稿にこぎ着けた。大変骨の折れる作業ではあったが、一方で、波乱万丈のその方の人生をともに生きるような気がし、とても得難い体験をした。
その2ヶ月ほど後、その方は周囲に惜しまれながらこの世を去った。残念ながら、自分史の刊行はその後の出版社サイドの編集作業が手間取り、ご臨終には間に合わなかったのではあるが…。
本が出来てしばらくして、関係者が集まって出版記念会兼偲ぶ会が盛大に催された。その方の生前の活躍が彷彿された。
ご本人に寄り添いともに生き直す自分史づくりのお手伝い
この本の出版を機に、私は自分史づくりのお手伝いをするようになった。出版社の社長からは、あの難解な文章を解読して毎日出版社に入稿する当時の私の様子をふり返って、「まるでAさんが乗り移ったようだった」などと冗談半分に言われたものだが、この仕事をこなすことによって、私は社長から厚い信頼を得ることができたのである。
以来、多くの方の自分史づくりをお手伝いしてきた。出版社の社長の言葉ではないが、ある人の自分史づくりのお手伝いをすることは、その人の人生をともに生きなおすことと言っても過言でなく、それは大変なことではあるが、興味深くもありやりがいのある仕事でもある。

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